
PAST EXHIBITION
加藤康司「空想紀行」 | Real Imaginary Travelogue
加藤 康司
日程 :
2022年2月23日〜3月19日 17:00 ~ 20:00
木・金・土・祝 開廊
会場 :
AI KOKO GALLERY(墨田区千歳2-10-4千歳マンション303)
要事前予約(各回30分・最大4名様まで)
AI KOKO GALLERYは1994年生まれの若手アーティスト、加藤康司の個展を開催します。加藤は近年、アジア各国での活動を中心に綿密なリサーチや協働性を活かした映像、立体、絵画など多様なメディアを用いた作品を制作しています。
本展では加藤がギャラリーの近隣にある江戸東京博物館を訪れて、アルノルデゥス・モンタヌス著『日本誌』(1669年)を知った事を発端とする、一連の作品群を発表いたします。
17世紀のヨーロッパでは、未知の国の文化や風俗が記された出版物は人気があり、当時鎖国下であった日本の風景を100点近い挿絵によって視覚的に記した『日本誌』はとりわけ多くの人々を魅了しました。
作者であるモンタヌスはオランダ人の牧師であり、学校の先生であり、職業作家という複数の肩書きを持つ人物でした。彼はこの著書を執筆するにあたり、日本に派遣された使節等の報告書や記録など断片的な資料を参考にし、なんと一度も来日する事なく、空想を交えて日本の歴史書を書き上げました。
フィクションによってふんだんに加工されたこの物語は、まるでフェイクニュースのようにヨーロッパ各国で広く普及していったのです。
現代社会ではVRやARといった架空と現実が混在するようなツールが普及し始め、それらを分断して考えるのではなく、むしろ共存を前提とした想像や鑑賞をする感性が育まれています。情報メディアの領域においても、資本主義のダイナミズムも相まって、事実であるかどうかより面白いかどうかを重視するという、現実に依拠しない受容のあり方に拍車がかかっていると言えるでしょう。
加藤はかつて偽りの物語が流行した17世紀のヨーロッパと、空想に溢れる現代社会を重ねて捉えつつ、他者を表現することで発生する表現者の倫理的課題に焦点を当てていきます。
空想が現実を覆い尽くす社会において、世界を想像する責任とは何か。本展では、モンタヌスが頭の中で描いたであろう風景に作者が飛び込み、妄想と欲望によって作られたキャラクターと対話し、マッピングされゆく世界観を新作の3Dアニメーション映像で再現します。
ぜひご高覧賜りますよう何卒お願い申し上げます。
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《空想紀行》の時代:眼差しの権力と忘却の暴力
毛利嘉孝
この《空想紀行》の旅先案内をしているのは誰か。もちろん、それは一義的には作家である加藤康司なのだが、この旅の構造はそれほど単純ではない。
そもそも、このヴァーチャルな空間に作られた17世紀の江戸に加藤を誘ったのは、牧師であり、教師であり、そして職業作家として知られるアルノルドゥス・モンタヌス(1625-1683)である。自らは日本に行くことなく、伝聞や資料によりモンタヌスが書き上げた『東インド会社遣日使節紀行』(邦題『日本誌』)は、当時の日本の状況を記した数少ないヨーロッパの資料だが、同時に多くの誤解や誇張、偏見に溢れていることで知られている。
けれども、私たちは結局モンタヌスに出会うことはない。対話の相手は、モンタヌスが描いた江戸の「侍」である。その「侍」は私たち日本人が知っている侍とはずいぶんと異なっている。ダイロと呼ばれる江戸の「王様」に仕える侍はその存在自体が心もとない。「空想旅行」は現代から17世紀へと向かう時間の旅だが、時間を遡る際に別の次元にあるパラレルワールドに迷い込んだかのようだ。
実のところ「空想旅行」は、同時に「空間」の旅でもある。私たちは単に現在から過去へと遡るだけではない。この時間の旅には、オランダからアフリカを迂回し、南アジア、東南アジア、東アジアへの旅が書き込まれている。「極東」の江戸は、実際にはこうしたアジアの旅の混淆物だ。それは、17世紀の西洋から見た「極東」の眼差しにほかならない。
映像の最後には奇妙にもリアルな/ヴァーチャルな象が登場する。象は室町時代から鎖国された江戸時代へと至る南蛮貿易の象徴である。東南アジアから届けられた象は、象を乗せる船が国内にはなかったので長崎から江戸まで歩いて移動し、異国の動物を一目見ようと沿道には見物客が溢れたという。この国内の象の移動は、また西から東への西洋の視線の旅の最終行程なのだ。
モンタヌスの『東インド会社遣日使節紀行』は、この時代広く読まれた書物であり、ステレオタイプ的な多くの誤解を含めて日本のイメージを形成した。こうした視点は、西洋の日本に対する近代的な眼差しを編成したのだった。
しかし、こうした眼差しを単なる他者に対する西洋中心主義的・植民地主義的・帝国主義的眼差しとして批判するだけでは不十分である。より深刻な問題は、こうした眼差しを、その対象である多くの日本人がいまでは十分に内面化してしまっていることだ。モンタヌスが見た「不思議な国ニッポン」は、日本人にとっても「不思議な国ニッポン」である。
その意味では、唐突だが、戦後日本に対する文化的枠組みを与えたルース・ベネディクトの『菊と刀』へと至る外からみた日本論の系譜の一つとして位置付けることができることができるかもしれない。『菊と刀』を太平洋戦争中に記したベネディクトも、モンタヌスと同様に文献調査と在米日本人に対する聞き取りのみで本を書き上げ、欧米の「罪の文化」と対比して日本文化を「恥の文化」として描いた。この議論はアメリカの戦後統治に利用されたが、今ではその視点を多くの日本人は共有している。
もちろん、『菊と刀』は『東インド会社遣日使節紀行』に比べて量的にも質的もはるかに大量の資料と調査によって描かれており、そのイメージの歪み、偏向の度合いはずいぶんと異なっている。けれども、その他者に対する眼差しと、他者化された人々によるその視線の内面化という構造の本質は基本的に同じものである。そして、西洋化された日本の視線は、土着的なものへの抑圧だけでなく、日本における混淆的なアジア的文化、そしてその後の植民地主義の忘却を強化するだけでなく、むしろ忘却によって完成されるのである。
実のところ、人は西から東へのみ移動したのではない。近代以降、人は東から西にも移動した。日本もまた例外ではない。その暴力的帰結が第二次世界大戦に至る日本の植民地主義の拡大であり、搾取的帰結が戦後アジアにおける帝国主義的経済進出だった。
こうした拡大と忘却/隠蔽は過去の話ではない。たとえば、近代化を通じて生きた象が九州から東京まで歩く姿は見られなくなったが、その代わりに日本は世界でも最大の象牙の市場になった。よく知られるとおり象はワシントン条約で絶滅危惧種に指定されその捕獲が禁止されているが、2021年時点でワシントン条約事務局に報告されている象牙在庫のうち、日本はアジア地域の89%、全世界でも31%を占め、違法な取引の温床となっていることが世界的に批判されている*。西から東への象の移動は、東から西への人の移動によって不可視化される。そして、それは今でも続いているのである。
モンタヌスは日本に来ることなく日本を描いた。このために誤解した日本のイメージを生み出したことを批判したり、逆におもしろおかしく楽しんだりすることはたやすい。けれども、これ自体は近代を通じた他者表象においてその程度の差こそあれ、一貫して継続されてきた知識=権力の操作である。
むしろ問題は、現代において「空想紀行」の経験が、ますます私たちの日常生活の一部になりつつあることである。たとえば、これほど毎日メディアやSNSを賑せているウクライナの現地にいったい何人の日本人が行っているのだろうか。そんなに遠くの場所をわざわざ上げる必要なないかもしれない。日常的に目にする日本の出来事ですら実際に私たちはどの程度「経験している」のだろうか。その多くはフェイクと区別がつかなくなった断片的な情報を通じて知っているつもりになっているだけではないか。
加藤康司の《空想紀行》は、こうした他者に対する眼差しの不均衡性、虚構性、そして権力のあり方を問題にしている。しかし、それは同時にその眼差しをごく当然のように受け入れている私たち自身の知覚もまた問い直している。この作品を見るときの奇妙な浮遊感はどこから来るのだろうか。この問いが浮かんだ時に、すでに私たちは《空想紀行》に巻き込まれている。
*認定NPO法人トラ・ゾウ保護基金(JTFF)プレスリリース:国内象牙市場の規制でいかに日本が立ち遅れているか 翌週のワシントン条約常設委員会で明らかに 2022年2月28日 https://www.jtef.jp/press-release-tirelessmarket_j/
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作家略歴:
加藤 康司 https://kojikato.wixsite.com/kato1209
1994年生まれ。2016年弘益大学校(韓国)交換留学。2021年東京藝術大学大学院グローバルアートプラクティス(GAP)専攻修了。 行き止まりスタジオ主宰。PARADISE AIRコーディネーター。
映像、立体、絵画など多様なメディアを用いて、協働性や政治性に焦点を当てた作品を制作。近年ではコラボレーションの手法を多く取り入れ、歴史化された権力構造からの逸脱、再解釈を試みる。
主な個展
2021 「For Whom We Fight ”A面”」gallery G(広島)
「For Whom We Fight ”B面”」THE POOL(広島)
2019 「爆発の輪郭線」Toride Genkan Gallery(茨城)
「父を語ることは、世界を語ることかもしれない」blanClass(神奈川)
受賞歴
2021 アートアワードトーキョー丸の内2021、審査員 木村絵理子賞
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Exhibition Title:
Koji Kato “Real Imaginary Travelogue”
Schedule:
February 23 - March 19, 2022
17:00 - 20:00, open on Thursdays, Fridays, Saturdays, and Public holidays
Venue:
AI KOKO GALLERY (Room#303 Chitose Mansion, 2-10-4 Chitose, Sumida-ku, Tokyo)
(Up to 4 people per 30 minutes)
Please make a reservation at least one day in advance at the following URL.
https://forms.gle/quwP9pu3vUvgLRAX6
(For more inquiries, please contact aikokogallery@gmail.com or 050-5806-5596 )
Overview:
AI KOKO GALLERY is pleased to present a solo exhibition by Koji Kato, an emerging artist born in 1994. In recent years, Kato has been working in various Asian countries, producing works using various media such as video, sculpture and painting by using in-depth research and collaboration.
In this exhibition, Kato will present a series of works that were inspired by a visit to the Edo-Tokyo Museum near the gallery, where he learned about Arnoldus Montanus’s “The Journal of Japan” (1669).
In the 17th century, publications describing the culture and customs of unknown countries were popular in Europe, and “Japan Magazine,” with its nearly 100 illustrations visually describing the scenery of Japan, which was under national seclusion at the time, was especially attractive to many people.
The author, Montanus, was a Dutch pastor, schoolteacher, and professional writer with multiple titles. In writing this book, he referred to fragmentary materials such as reports and records of envoys sent to Japan, and wrote a history of Japan with his imagination, without ever visiting Japan.
This story, heavily processed by fiction, spread widely in European countries as if it were fake news.
In today’s society, tools such as VR and AR that mix the imaginary and the real are becoming more and more popular, and we are developing a sensibility to imagine and appreciate them based on the premise of coexistence, rather than dividing them. In the realm of information media as well, the dynamism of capitalism has spurred a way of reception that does not depend on reality, emphasizing whether something is interesting rather than whether it is true.
Kato will focus on the ethical issues that arise in the representation of others, overlapping 17th century Europe, where false stories were once popular, with today’s fantasy-filled society.
In a society where fantasy overshadows reality, what is the responsibility of imagining the world? In this exhibition, the artist dives into the landscape that Montanus would have drawn in his mind, interacts with characters created by his delusion and desire, and recreates the mapped worldview in a new 3D animated film.
We look forward to seeing you at the exhibition.
Biography
Koji Kato (https://kojikato.wixsite.com/kato1209/cv-1 )
Born 1994, Koji received his BFA from Tama Art University in 2014, MFA from the Global Art Practice at Tokyo University of Arts in 2021. Also, he studied at Hongik Art University in Korea through an exchange program in 2016.
His work is mostly video of his interests in exploring relations between political or social issues and himself for finding out power structure.
He has exhibited his work in group shows such as “Warmth of Stone (and) Trace of Breath” (Youkobo Art Space, Tokyo), “Strange Neighbor” (ART PARK, Seoul), “Re: mind the GAP” (HART Haus, HongKong), “Barrak: survibes Bangkok Biennial 2018” (White Line, Bangkok), “Openness?: The method of acquiring freedom” (Tokkaten|tochka, Tokyo), “Maebashi Media Festival 2017” (Old Yasuda Bank Security Warehouse, Gunma)
Selected Solo Exhibition
2021
“For Whom We Fight ”A面”, gallery G, Hiroshima, Japan
“For Whom We Fight ”B面”, THE POOL, Hiroshima, Japan
2019
“Outline of Explosion”, Toride Genkan Gallery, Ibaraki, Japan
“When I talk about my father, which may mean talk about a world”, blanClass, Kanagawa, Japan
Awards
2021
Judge’s Prize, Art Award Tokyo Marunouchi 2021
©Koji Kato 2022 Design: Mone Kaneko Trailer Edit: Naoya Bito